【 出 羽 三 森 】

愛宕山:242m 八幡山:212m 貫津山:226m


2022_11_20    累積登降差 : +425m -425m     歩行距離 : 10.5km     所要時間 : 6時間03分


[JR天童駅]08:27→09:00[建勲神社]→09:17[舞鶴山Δ]→09:50 【 愛宕山Δ 】 →10:15[北目参道口]→11:20[貫津山南口]→11:38 【 貫津山Δ 】 →11:57[貫津山北突起]12:10→12:22[貫津沼東岸]→12:34[八幡山登山口]→13:10 【 八幡山 】 →13:32[R13付近]13:41→14:30[JR天童駅]
国土地理院地形図

★ 出羽三森(でわのみつもり)は天童市中心部から東に愛宕山(242m)、八幡山(212m)、貫津山(226m)と並んでいる。低山ながら名前が「出羽三森」と、出羽国(現在の山形県+秋田県)を背負っている山々である。
★ 一般的には愛宕山を舞鶴山、貫津山を越王山(こしおうやま)と呼んでいるが、舞鶴山は人間将棋を行う所の山(三角点「舞鶴山」194.5m)であり、愛宕神社の在る山は愛宕山である事は古くからの天童市民なら皆知っているだろう。また越王山は、地元でどう呼んでいるか不明だが、我々天童市南部の者は「貫津山」と呼んでいた。愛宕山には愛宕沼があり、貫津山には貫津沼があるから、我々の呼び名が正しいと推認できる。但し、3山とも神社に起因した名称だから、越王山でも納得できる。真ん中の八幡山をどう呼んでいたか、私も定かではない。
★ 今回もアプローチは鉄道、JR天童駅が起点である。天童の街中は1980年頃とさして変わっていないのだが、思い出すのは1960年代の事。天童駅から鎌田温泉(現天童温泉)までは今回通った旧道を行くのだが、途中には野あいが在り、東根と東根温泉の様に離れていた。駅前の十字路と1本東の小路にパチンコ屋が在った。鎌田温泉は貫津地区も権利が在り、今の道の駅の北に貫津地区民専用の共同浴場が在った(これは1980年代に知った)。まだ在るだろうか。
★ 最初は愛宕山。子供の頃から初詣は建勲神社と愛宕神社だった。ガキの頃、愛宕山でよくチャンバラをした。我が家の床屋は北目の裏通りに在ったし、小路にも親戚みたいな人が居た。とにかく良く知った山なのだが、今回一番の狙いは舞鶴山東斜面にある洞穴だった。最初、愛宕沼北の駐車場に車を停めて最初に洞穴に行くつもりだったが、電車に変更したため残念ながら割愛した。愛宕山(愛宕神社)は北目の山で、正式な参道は北目からのジグザグ道だが、後年は殆ど車で舞鶴駐車場まで登り、西から参拝する事が多かった。因みに舞鶴山は小路の山。
★ 北目から貫津山登山口まで、途中○本杉で揚げ饅頭を買ったりして1時間以上かかった。天童一中は地理院地図とは校舎の位置が違い、真っすぐ行けた。長龍寺の奥から貫津山を登ったが、北突起までは良い道だったが、そこからの降り道が分からず10数分彷徨った。送電鉄塔まで行けば何とかなると思い、行ってみると鉄塔保守用の広い道が在り、貫津沼の東岸に辿り着いた。貫津沼に来たのは何十年振りだろうか。小学生か中学生の頃だが、自転車で行ったのだろうか、歩いて行ったのだろうか。この辺は、天童一中が出来た以外は殆ど昔のままと感じた。
★ そしてトリは八幡山。三森では一番小柄で低い山なのだが、歩く困難さは随一、難渋を極めた。と言うのは、南面(天童一中の裏)は朽ち果てたブドウ畑で、ブドウ棚の杭と針金が残っていて過酷な藪漕ぎを強いられたのだ。頂上から北側への降りも急で、最後は葛藪を突破して資材置場に降り立った。
★ 帰りはボンむら○○で菓子を買い、旧鎌田街道を天童駅まで歩いた。天童駅では浅○菓子店の舞鶴ゆべしを買って、電車で家に帰った。