【 蒲 生 日 和 山 】

3m(日本一の低山)


2025_06_09    累積登降差 : +1.5m -1.5m     歩行距離 : 12m     所要時間 : 3分


→12:10[北向]12:50→13:00[村田]13:20→13:55[鳥の海]14:10→14:55[藤塚]15:05→15:14[荒浜]15:45→16:00 【蒲生日和山】 16:20→
国土地理院地形図

★ 今回は「麦秋」の写真が主題。標題の「蒲生日和山」は、このサイトのテーマが「山」なので、荒浜を出た後に 『何かないかな。そう言えば近くに「日本一の低山 日和山」があるな。そこに寄って、それをタイトルにしよう』 と、"渡りに船"的に利用したもの。飽くまでも写真の主題は「麦秋」なので、それを見て欲しい。だが、ほかの沿岸部の地域は東日本大震災で壊滅的被害があった場所である事も頭に置いて欲しい。
★ 6月2日に薬莱山に登り、その後、涌谷まで行って麦畑を探したが全く見付けられなかった。そこで、2000年に「麦秋」を撮った事のある村田町北向に行ってみる事にした。でも、流石に25年前在ったからと言って今も在るとは思っていなかった。だが、そこには25年前と変わらない「麦秋」の風景が広がっていた。その美しい光景と25年の時の流れに、只々感動するのみ。
★ 北向で撮った後、Web情報で仙台市荒浜にも麦畑があるらしいので、荒浜に行く事に。でも折角ここ迄来たのだから、震災前によく行った鳥の海に寄って行く事にしたが、途中、まず村田町の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に寄った。地震で被害があった姿以降見ていなかったが、良く整備されて「重伝建」らしくなっていた。
★ 鳥の海から福島県浜通りにかけては、昔、毎週の様に行った懐かしい場所だが、震災後は足が遠退いていた。鳥の海のある亘理町荒浜地区は津波で壊滅した地域で、震災後に1,2度行った事があるが、その頃とあまり変わっていなかった。震災前の賑やかさはもう見られないのだろうか。
★ 次に仙台市荒浜に向かったが、津波対策に造った東部復興道路が慣れなくて、降りた所が藤塚。初めて来る所だ。何もない所に五柱神社だけが立派に復元されていた。後でWebで調べると、貞山堀沿いの緑豊かな、何か「懐かしい」と思わせる集落だった様だ。今は災害危険区域で、住むことが出来ない。
★ 荒浜に着いた。震災後に何度か来ているが、その後は全く変わっていない。荒浜には、1970年には自転車で何度か来たし、その後も何度か訪れている。海水浴にも来た事がある。神社が在って、そのお祭りの時も来た事がある。貞山堀と黒松林の自然豊かな集落だったが、災害危険区域でもう住めなくなった。麦畑は在ったが、周囲の景観が悪く絵にならなかった。「麦秋」は「緑」との対比で絵になるもの。
★ 行掛かり上、日和山に寄った。震災前の2004年以来だ。以前在った6.05mの山は完全に流され、現在のピークは周囲と然程変わらない高さになっていた。でも国土地理院は日和山の名称と3mの独立標高点を与えている。やはり災害危険区域に指定され移転を余儀なくされた蒲生地区住民の思いがそうさせたものと思う。蒲生干潟は回復半ばだったが、いずれは元の様な野鳥等の楽園になると信じている。
★ 今回は山行でなく、ドライブ記事的な内容となったのは、ホンダINSIGHTに乗った遠征が、今回が最後になるからだ。昨年、障子ヶ岳(紫ナデ)に登ろうと大井沢林道を奥まで行った時、タイヤがパンクしてしまった。車の状態(20万km超えてガタが来ている)を考えると、タイヤを新たに買っても無駄になると判断し、今年6月の車検を諦めた。最後は懐かしい場所を走りたいと思ったので、この様な内容となった。