【 鶴 子 林 道 】

390m(火棚沢林道分岐北)


2025_11_05    累積登降差 : +0m -0m     歩行距離 : 0.0km     所要時間 : 3時間14分(車移動)


→10:46[新鶴子ダム下]→11:16[火棚沢橋/撤収]11:30→12:35[新鶴子ダム上]12:41→12:56[山の神清水]→13:16[畑沢]→13:320[背炙峠]→14:00[楯岡]
国土地理院地形図

★ 今日は御所山林道で紅葉狩りと思って出掛けたが、鶴子林道の火棚沢橋で、前方に熊が出現したのを見て、大事を取って撤収とした。代わりに鶴子ダム湖周辺と背炙峠付近の紅葉を撮って帰った。なお、「鶴子林道」は鶴子ダムサイトから夫ノ小屋跡まで、「御所山林道」は夫ノ小屋跡から落合(終点)まで。ただし御所山林道は車両通行止(車両通行は不可能、歩行も危険)。
★ 御所山林道は熊が出た地点から3.5km程先なので、撤収する必要は無いのだが、御所山林道の立地が、丹生川の廊下の様な地形の中腹を切り開いて造った道なので、山側も谷川も断崖絶壁。そこで熊と出会ったら、自分は勿論、熊も逃げ場がない。通常、熊は人の気配を感じると谷側に逃げ下る(稀に山側に逃げ上る)ものだが、御所山林道では山側も谷側(道元峡)も断崖絶壁なので、人と反対方向へ逃げるか、人に向かって攻撃してくるかになる。子連れ熊の場合は後者の可能性が高い。だから今回は撤収とした。
★ 熊を撮った火棚沢橋は丹生川支流の火棚沢に架かる橋。火棚沢は黒森周辺から流れ下っているが、今は、今回車のUターンに使った火棚沢林道で奥まで入る事が出来る。昔はダム湖底の旧鶴子林道から分岐して火棚沢橋の下の狭隘部を通っていたが、新鶴子ダム湛水開始前に現在の道に付替えられた。尤も、それだけでなく、現在のダム湖周囲の道はその時に造られたもので、それまではダム湖底の旧鶴子林道を通っていた。
★ 火棚沢周辺は山菜・キノコの宝庫で、昔(1970年代後半~1980年代前半)よく採りに行った。春はタケノコ、アイコ、ウド、クワダイ、シドケなど。特にウドは地中に30cm以上埋まった白いヤツ『これがウドだよ、キミ』が採れた。秋はナメコとムキタケ。1982年11月に弟と2人で行った時はオオスズメバチに刺された。竹藪で昼食時、3,4匹威嚇に来たのに対し、巣の方に避けてしまったのだろう。弟は肩を、自分は手で払った時に指を、その落ちた蜂に大腿部を刺された。40数年経った今も、その 傷痕(クレーター)が残っている。
★ 当初行く予定だった御所山林道は樹種が豊富で、特にアカシデ(赤四手)が沢山在って、パステルカラーの紅葉がとても美しい所。新鶴子ダム湖周辺は標高370m程で、紅葉最盛期にはまだ早かったが、御所山林道は500m~600mあり、紅葉の最盛期だったと思われたが、熊出没を考えると撤収も止む無しだろう。同様に猩々池と大菰石山(仮)も断念した。来年、熊が出ないことを期待したい。
★ ところで、御所山林道は何時頃、何の為に造られたのだろう。何度か通っての推測だが、クラビ沢の奥、宮城県境近くまでブナ林を伐採し、杉、落葉松を植林する為の資材、木材を運搬する森林軌道を敷く為に造られたと思う。だから林道と言うより鉄道敷設道だと思う。実際、第2隧道はトラックは無理だ。夫ノ小屋跡=土場跡から落合までは2本レールで、その先宮城県境まではモノレールか索道で運搬したのではなかろうか。終戦後、復員者の雇用事業として、造林、植林、その為の林道等開削を行ったと推察する。
★ だとすれば、御所山林道開削以前の道は何処を通っていたのだろう。順徳天皇の話もある様に、丹生川から御所山への道はもっと古くから在った筈。丹生川(道元峡)を遡ったのか、御所山林道の所に古道が在ったのか、荒神コースが本来の道なのか。私見としては、修験道の山と考えると、道元峡、層雲峡を通っていたと考えたい。